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三世
仏教は、過去世、現世、来世という三つの世を、人間は生き続けると考えたのです。これを三世の思想といいます。
仏教ではこの世を現世と呼びます。私たちは現世に今、生きているわけですが、この現世に生まれる前に、すでに魂があって生きていたと考えます。
生まれる前の時間を過去世と呼び、過去世は長い長い無限の時だったと考えます。
過去世から、私たちは選ばれて現世に生まれて、八十年位生きたら必ず死にます。
死んでも、魂は生き続け、死んだ後の世界を来世と呼びます。
来世は過去世と同じく、やはり無限のはるかな時間を持っています。
私たちの今生きている現世は、悠久の過去世と悠久の来世にはさまれたほんの短い時間です。
私たちはこの世での快楽だけに満足しようとしたり、この世での苦労に不平不満を吐いたりしますが、悠久の三世の時間の中では、現世なんて、ほんの一つの点に過ぎないものだと思えば、心にゆとりが生まれます。
南無
南無阿弥陀仏などと、私たちは日常、南無ということばを耳にします。
南無とはサンスクリットの「ナーム」で、それを漢字で音写したものです。
ナームは「帰依する」という意味で、すべてを任すということです。
例えば南無阿弥陀仏は、阿弥陀さまに帰依しますということで、このことばを祈りのことばとして、それを称えることによって、阿弥陀さまの誓願ですべての罪も許され、浄土に迎えられると信じます。
人間は生きている上で、考えられないような様々な災難や苦労に遭います。
そんな時、自分の信じる仏に「南無」といって命も運命もお任せしてしまえば、そしてそれが出来ればどんなに気が楽になることでしょう。
そこから必ず道が開けて来るのです。
無常
無常ということばはサンスクリット語の漢訳で、常なることの否定の意味です。
この世では同じ状態は決して続かないということが無常です。
人間一人の生涯にしても、同じ状態は続かないで常に変化し続けます。
この世では、ものも、人の関係も、心も、すべて移り変わり、その不確かさが苦しみを人に与えます。
愛の永遠も、平和も、衣食住の快楽も、手に入れたと思った時、それを失う怖さを人は知らなければなりません。
無明
無明とは、人間の心の中にある一切の煩悩の根源をいいます。
無明の闇をなくし、心の中を明るくすることが仏教の悟りにつながります。
仏教では、人間はすべて凡夫だという考えがあり、自分の愚かなことを自覚して、悟りに遠い自分を認め、生涯を通して、いくらかでも無明に光が届くように努力することが必要と教えています。
幸福になるには、とらわれない心を、自分の心にしっかりと確立する以外に得られないのです。
自分の無明を認めた者、自分の痴愚に気づいた者だけに幸福への道が開かれます。
智慧
仏教では、戒、定、慧の三つを三学といい、その総仕上げが慧で、ここに到達すれば卒業です。慧とは悟りの智慧をさします。
今の世の中は知識ばかりが尊重されています。
大学に入るのも、学校で教えることも、今は知識一辺倒、知識偏重です。
この薬品とこの薬品を合わせたらサリンが出来るというのが知識で、つくったサリンで人殺しをしてもいいかどうか考え、いけないと答えを出すのが智慧なのです。
また、一個のおにぎりと一個のおにぎりを足すと、二個のおにぎりになるというのが知識です。
しかし、それをいくつにも分けて十人の飢えた人に与える時、二個のおにぎりは十個になることもあるのです。
二個のおにぎりから十個のおにぎりをつくりだすことが智慧なのです。
中道
仏教の教えは、今ここに生きている事実をふまえて、われわれはいかに生きるべきかということを追求し、明らかにすることであります。
どうやって具体的にそれを実践していけばいいのかというと、仏教では中道を行けと教えています。
中道とは、二つの対立した極端な意見があった場合、そのどちらにも寄らず、真ん中の道を行けという教えです。
極端からは何も生まれない。バランスのとれた自然な立場がいいということです。
四諦
この世は苦の世の中だというのがお釈迦さまの認識で、その苦しみを逃れるにはどうすればいいかということを、人々に説きつづけました。
この世のことは、四諦という四つの真理で成り立っています。苦、集、滅、道という四つの真理で、諦とは真理を明らかにするという意味です。
- 苦諦とは、この世は苦に満ちているという真理です。
- 集諦とは、苦の原因は煩悩や執着だという真理です。
- 滅諦とは、苦の原因をなくせば、苦の現実は消滅するという真理です。
- 道諦とは、滅諦へ至る方法、道を示した真理です。
仏教で道というのは、すべて悟りへ至る修行の道程を指します。
この世のことは、すべて原因があって結果があるというのが、お釈迦さまの考え方です。
人間が苦から逃れる方法は、苦の原因の無明の煩悩を退治することなのです。
三毒
私たちが人間として生きている以上、自分の心に抱く煩悩によって苦しまねばなりません。
煩悩つまり人間の欲望が苦の原因なのです。煩悩を失くせば苦から逃れることが出来るとわかっていても、人間は死ぬまでそれを失くすことはできないでしょう。
煩悩の中身を分析すれば、貪、瞋、癡の三つとなります。
つまり貪欲、瞋恚、愚癡の三つで、これは人間の善心を損なう煩悩なので、三毒といわれています。
貪は、自分の好む対象に向かって貪り求める心のことで、物に限らず、地位、名誉、富、性愛すべてに貪が作用します。人間の貪欲には際限がありません。
何ごとも小欲で足るを知るという心がけが大切です。
瞋とは、自分の心にさからうものに対して怒り怨むことです。
怒り怨みを持てば、その対象に敵意を抱くことになります。
癡とはおろかさですが、仏教でいうおろかさとは、教養がないということではありません。
差別する心、自己中心的な考え方の人を癡愚な人と見るのです。
やさしい仏教入門
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