お仏壇ものがたり

「お仏壇ものがたり」
フォトエッセイコンテスト

「おかげさま」とお仏壇に合わせる感謝の手が、あなたの心を豊かにします。
お仏壇の素晴らしさを伝えるために、お仏壇にまつわるエピソードを募集したところ、皆様よりたくさんのご応募をいただきました。
平成25年2月28日をもちまして締め切らせていただきました。本当にありがとうございました。
たくさんの応募作品の中から入選作品をご紹介いたします。

「切手を売って」

宮田 上枝 さん(埼玉県志木市/65歳)
切手を売って

 結婚前に彼氏の家に遊びに行った。通された部屋には大きなお仏壇があった。特に意識した訳ではないが、次の機会には手土産としてお花を持っていき、「これ仏様にどうかと思って」と母親に手渡した。どうやらそのことが母親を感動させたらしい。こうして私たちは結婚した。
 結婚して二十五年が過ぎ、「銀婚式だね」と話していたのに夫は急死した。心の準備もなく、悲しみよりも怒りに似た気持ちの方が強かった。それでも毎朝、 私はお仏壇に向かうと亡夫に語りかけている。 「娘の花嫁姿も見ないで」
「一緒に海外ロングステイしたかったよ」
愚痴を言った後で必ず付け加える。「そちらの世界でお父さんやお母さんと仲良く、ゆっくり休んでね」と。
 そうやって日が流れ、十三回忌を迎える頃に気がついた。義母が終戦後に買ったお仏壇だからガタがきていることに。修復には六十万かかると言われた。
「今ではこれだけのお仏壇はないから、新しく買うより修復した方がいいですよ」と仏具屋さんは言う。
私もそう思う。義母の思いが詰まっているお仏壇を壊すのは抵抗がある。
「そうだ、夫が遺した記念切手を売ろう」なんと三十五万円にもなった。
 かくして十三回忌の法要は、新品かと思うほど美しく蘇ったお仏壇の前で営まれた。集まってくださった方々に事の次第を話してから私は言った。「だから夫も今日は大きな顔をしていると思います」と。
「有難う、あなた」私はやっと夫に感謝して肩の荷を下ろすことができた。

「そっと手を合わす、我が家の仏壇」

松崎 玲子 さん(富山県富山市/35歳)
そっと手を合わす、我が家の仏壇

 わが家は、特に宗教深い家庭であったわけではありませんでしたが、幼い頃から祖父・祖母のまねをして仏壇に手を合わせることは多かったように思い出します。
 朝起きると、必ず祖父か祖母が仏壇の電気を付けて、コップの水をかえて「今日一日よろしくお願いします」と手を合わせ「朝のごあいさつ」をしていました。あきっぽい私は面倒だなあと思いながらも祖父が行う「朝のごあいさつ」の後ろから、そっと手を合わせていました。
 小学校に入ると、必ず学期末にもらう通知表は家族が見た後、仏壇にそなえられていたことをよく覚えています。それ以外でも、何か私や姉が表彰されるようなちょっとしたことがあった時も、必ず祖母が仏壇に手を合わせて報告していました。
あと、夜ねる時間になると、必ず「今日一日ありがとうございました」と仏壇に手を合わせて、仏壇の電気を消す「夜のごあいさつ」は、忘れてはいけない大切なことでした。そして、「夜のごあいさつ」には決まりがあって家の者が全員帰宅しなければ仏壇の電気を消すことができないのです。だから父が会社の飲み会で帰りが遅い日は、父が夜中に帰ってくるまで仏壇の電気を消すことはないのです。
 私が二十歳になって、飲み会に行くようになった時、深夜、真っ暗な家に帰宅すると、やっぱり仏壇の電気がぼんやりついていました。私は軽く手を合わせ「ただいま帰りました」と心の中でそっとつぶやいて、仏壇の電気を消しました。家族はみんなねているけど、仏壇は家の者全員の帰りをただじっと、何も言わず待っているのだと、大人になった私は、そう思えるようになっていました。
 私は、知らないうちに仏壇に親しみをおぼえ、いつの間にか、そっと手を合わせずにいられない存在に、わが家の仏壇はなっているのです。

「小さな尼僧様」

亀岡 智美 さん(東京都東久留米市/50歳)
小さな尼僧様

 閉め切った仏間から可愛い声のお経が聞こえてくる。小学2年生の姪だ。「よくお参りしてくれるから。」と菩提寺の和尚さんにいただいた経典を、ちゃんと節をつけて読んでいる。父が亡くなって約1年経った頃のことだ。
 母は、父の初七日から七日毎の四十九日まで、四十九日が終わってからは月命日に毎月、和尚さんを頼んでいた。姪は、ちょうど日曜日だったり、祭日だったり、たまたま小学校が早く終る日だったりして、和尚さんの来る日のほとんどを母親である妹に連れられ、おじいちゃんのお参りに来たのだった。毎週毎週、毎月毎月、お経を聞くうちに節も自然に覚えたらしい。
 姪は、和尚さんの来ない日も、遊びに来ると「こんにちは。」と元気よく挨拶し、まず仏間に向かった。小さい手で襖を慎重に閉め、「絶対に開けないで。」と「鶴の恩返し」の鶴のように家中の者に言い、可愛い声でお経をあげた。襖の外に自分の声が漏れていることに気づいたのは、随分経ってからだ。
 母は、小さい尼僧様がお経をあげ終え襖を開けて出てくると、「今、おじいちゃんからお告げがあって、お小遣いをあげてって頼まれたから。」と言い、ぽち袋に入れたお布施を握らせた。小学2年生の尼僧様は、どこで習ったのか、いったんは遠慮してみせる。しかし、「これは、おじいちゃんからだから。」という説得に嬉しそうに受け取るや、一目散に仏間に走り、手を合わせて仏壇のおじいちゃんに礼を言った。
 そんな姪も今春は高校生だ。先祖に自然と手を合わせ、親達と一緒に墓参りをしては、せっせと草むしりや墓掃除をする孫に、父も、遠い先祖たちも、目を細めているに違いない。

「急な帰省」

清水 進 さん(神奈川県海老名市/62歳)
急な帰省

 ちょっとした言葉のやりとりから、夫婦関係がぎくしゃくとしている年末に「実家に帰りたい・・・」と妻がボソリと言う。
「こんな時期に新幹線の切符とれないよ」
「母の体調が心配なのよ・・・」「だったら行ってきたら・・・」
「一緒に行ってよ」「一緒に?!」
ネット予約のパスワードが思い出せない、前回利用したのは確か数年前の春だ。重い腰を上げてJRの駅に行く「お客さん並んでの席は取れませんが・・・」
「車両が違ってもいいんですがぁ・・・」
 妻の実家に着いたのは大晦日の夜遅く、テレビから蛍の光の合唱が底冷えする玄関に響いている。義父母への挨拶もそこそこに御仏壇に挨拶させて頂く。おばあちゃん子だったと言う妻から良く聞いていた。祖母の遺影が微笑みかける。
我が家と宗派が違い御焼香の仕方も違って戸惑った昔を思い出す。祖父を見送った時の記憶も甦る。
「おばあちゃん微笑んでいたね・・・ おばあちゃんの戒名 大姉かぁ・・・」
帰りの新幹線は何とか並んで席をとれた。妻は大好物の米沢牛の駅弁を食べながら微笑んでいた。

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