これからは心が豊かな暮らしを

仕事が忙しくてストレスを感じる、イライラしてつい子供にあたってしまう、もやもやした不安な気分が治らない、あなたは毎日こんな生活をしていませんか?

平成15年8月3日の朝日新聞に、梅原 猛氏の次のような話が掲載されていました。

「近代人は科学のほうが宗教より重要であるという意識を強く持っています。そして近代人であらねばと願うゆえに、宗教について語ることを恥ずかしいと感じてしまうのです。信仰厚いキリスト教徒だった作家の遠藤周作でさえ、多くの照れ隠しをしていました。
でも、科学技術は、人間がいかに生きるべきかを教えてはくれなかった。今日の日本人の底知れない不安、焦りの要因はそこにあるのです。
自利利他という、自分のためと同時に他人のためにもなるように、という生き方が仏教の理想とされています。
毎日の会社の仕事に追われている人には、それこそ馬の耳に念仏かもしれない。
しかし、子供たちの顔が幸せに輝いて見えない今、私たちの責任はなにか。」

イライラしたり、気分が晴れなかったりしたら、ありふれた日常のリビングに、堂々と手を合わせる場所を作ってみたらいかがですか。
苦しい時の神頼みではないが、困ったり、悩んだりした時に、亡き人に心を開いてみる。
とっても良いことがあって嬉しかった時も、大切だった人にまず報告をしてみる。
手を合わせて自分の心を開くだけで、手を合わせてただ感謝をするだけで、不思議と心が安らいできます。
家庭の中で、堂々と恥ずかしがらず、照れずに手を合わせる、それができるのがお仏壇ではないでしょうか。

いままで、あなたにとってお仏壇とは、「暗い、不幸、タブー」「日常生活と関係ない」「作法がわかりにくい」「宗教と関わりたくない」などと思っていませんでしたか?

お仏壇は心の安らぎであり、心を開いて対話することのできる人生を共に歩むパートナーであります。
お仏壇を通して大切だった亡き人が「いつも見守ってくれている」という意識は、生きていく上で大きな自信と勇気を与えてくれます。
また自分がこうして生きているのは、ご先祖のおかげであることが自覚でき、「いま生かされている自分のいのち」に感謝することができるようにもなり、自分と家族に思いやりと信頼が生まれてきます。
大切だった亡き人の顔をよく思い出し、手を合わせ祈りを強く心に念じ続けると、自分の心の奥のいままで感じなかった扉が開き、より深い心の感動が沸き起こってきます。

時には大きな幸せを追いかけたくなるけど、やっぱり毎日のちょっとした幸せが大切。
ただ、ものがあるから豊かな暮らしなのではなく、これからは心が豊かな暮らしを。


親にありがとう

平成15年8月30日、世界陸上男子200メートルで末続慎吾選手が、短距離種目では日本人初となる銅メダルを獲得しました。
「お母さん、お父さんにありがとうと言いたいです」とインタビューで語っていたのが、とっても印象的でした。
お父さんは、3年半前に病気で亡くなったそうです。

あなたは今まで、「親にありがとう」と心の底から言ったことが、何回ありますか?
それは、どんな時ですか?

「親孝行 したいときには親はなし」と、昔からよく言われてきましたが、最近は親と子の関係が問題となる暗い事件が続発しています。
物質的には豊かになった現代ですが、心の豊かさはどうでしょう。
あなたも、親として、子として、大切なものを見失っていることはないでしょうか。

「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」

これは、幕末の思想家、吉田松陰の辞世ですが、もう一首、有名な辞世があります。
それは、

「親思う 心にまさる親心 今日のおとずれ何ときくらん」

信念を貫いた本人に悔いはないが、息子の死の知らせを聞いたら、親はどう思うだろうか。子供は親のことをすぐ忘れて突っ走るが、親は常に子供を案じている。松陰の胸にも、込み上げてくるものがあったのでしょう。

「たはむれに母を背負ひてそのあまり 軽きに泣きて三歩あゆまず」

母を背負ったら、思いのほか軽かった。こんなにやせ細るまで苦労をかけた。年老いていく母のことを心にかけて、石川啄木が22歳の時に詠んだ短歌です。

平成15年8月17日の朝日新聞に、梅原猛氏の次のような話が掲載されていました。

「鮭が子孫を残すために、遠い海の彼方から川に帰って来る。卵を産めば生命が尽きるのに、あえて千里を遠しとせず故郷の川に帰る。
生物の中には、自分を犠牲にしても子孫を残したいという遺伝子がある。
こういう母の心があるから、あらゆる生命は今まで生き続けることができたのです。そのような母心を私は道徳の根源であると考えます。」

また薬師寺の高田好胤は次のように語っています。

「私たちはみんな、お父さん、お母さんから生まれてきました。お父さん、お母さんもまた、その両親から生まれてきました。
こうして二十五代さかのぼると、私たちのご先祖の数は三千三百五十五万四千四百三十二人にもなるのです。
ですから、自分の生命は自分だけのものだと思うのは、とんでもない思い上がりであります。 こんなに大変な数のご先祖が、私たちひとりひとりの生命になっていることを自覚せねばなりません。
つまり大変な数のご先祖が、私たちの血となり、そのおかげで生かしていただいているのだ、ということを感謝しなくてはならないのです。
こうしたご先祖に対する先祖孝行が、お墓やお仏壇をお参りする「まつりごと」であります。
また言い換えれば、今生きているいちばん身近なご先祖である父、母に対しての、感謝を捧げるまつりごとが「親孝行」であります。」

「諸人よ 思い知れかし己が身の 誕生の日は母苦難の日」

この古歌を好んで使った、高田好胤は次のようにも語っています。

「私たちは誕生日というと、お父さん、お母さんにプレゼントやご馳走をしてもらうのを当然と考えていますが、むしろ命がけで生んでくれたお母さん、苦労して働いて育ててくれたお父さんに、感謝を捧げるのが子供の誕生日のあるべき真の姿ではないでしょうか。
しかし、まずこうしたことも、親が手本を示さなくてはいけません。
すでに両親の亡くなっている方は、お墓やお仏壇をお参りする「まつりごと」で感謝を捧げる、そんな親の誕生日の姿を見て、子供もまた、自分の誕生日のあるべき真の姿に目覚めてくれるのです。」

ちょっとした思いやりや感謝の心が、明るい豊かな家庭をつくります。
そんな豊かな心を身につけることが「しつけ」であり、教育、躾(しつけ)の始まりは、親の姿を子供がまねをすることにあるのです。
ところが、このごろは核家族化のため、実家にあるからとか、まだ不幸がないからという理由で、お仏壇がない家庭が増えてきました。
これは現代が物質的には豊かになっても、心が滅んできたひとつの原因ではないでしょうか。それほど、お仏壇に対する親の態度が子供に与える影響は、口では言えぬほど大きいものだったのです。
私たちは、目に見えるものの価値だけしか認めない、現代の学校教育をつくってきてしまいました。子供の問題は、どうしたらいいか分からないまま、時間だけが過ぎてしまいます。
昔から、うしろ姿で子供を導くことに親の値打ちがあると考えられてきました。
せめて家庭では、目に見えないご先祖や親に手を合わす、あなたのうしろ姿を子供の心に残すことが必要なのではないでしょうか。

「子供のしつけは親がする、親のしつけは誰がする」
その役割を果たしてきたのが、お仏壇ではないでしょうか。
お仏壇は縁起が悪い、長男じゃないから、宗教とは関わりたくないから、とお考えの方も、いまからでも遅くありません。
親やご先祖に、「ありがとうと言ってみたい」と思っている、そんなあなたのためにお仏壇はあるのです。


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