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昭和28年浅草の仏壇屋の長男として生まれるも、小学生の時は「おまえのところは、人が死んで喜ぶ商売なのか!」と、いじめられる人見知りする子供で、中学に入ってからも劣等感が強く融通性のない少年だった。
小さい時から家族や親戚の人に、3代目の跡取りとおだてられながらも、店の業績を伸ばすのも潰すのも3代目次第とプレッシャーを掛けられる。
跡取りとしての自分が嫌で、大学を卒業後、東京を逃げるように富山県の衣料品の会社に就職、なるべく遠くの地方で自分の力を確かめたくて、広島から博多へと飛び込みの営業を続けていた。
親の希望で嫌々ながらも東京に戻り、店の手伝いをするようになったが、お仏壇をお届けしたお客様の「これでやっと心が落ち着きました。ありがとうございました。」という涙ながらの感謝の言葉に、初めて目が覚める。
仏壇屋の仕事は、「心の支えのお手伝い」をする事だと初めて気付き、この商売に全力を尽くす覚悟を決める。
ある時は悲しみと共に、ある時は喜びと共にあるお仏壇を通して、自分が存在するのは両親と先祖のおかげであるという感謝の心を、次世代に残すためにお役に立ちたいと願っております。
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