- 宗祖
日蓮聖人 (1222〜1282)
- ご本尊
大曼荼羅
- お唱えする文句
南無妙法蓮華経 - 主な経典
法華経(妙法蓮華経)
- 教え
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主だった日本仏教各宗派の中で、日本人宗祖の名前を冠して宗派名にしているのは日蓮宗だけです。
それだけ、宗祖日蓮聖人の存在意義が教義に大きく反映しているのでしょう。
日蓮宗ではお釈迦さまの説かれた教えの中でも「法華経」こそが、世の中を救う絶対最高の教えであるとします。
その法華経を説かれて、実際に歴史上に存在されたお釈迦さまは「久遠実成の本仏」が自身を表した姿です。
久遠実成の本仏とは、永遠の昔に悟りを開いた仏さまという意味で、法華経も、本仏が経典として、実態を示したものなのです。
法華経を日本に広宣流布した日蓮聖人の教説を通して法華経を理解し、実践してゆくのが日蓮宗です。
法華経は本仏の声そのものであり、法華経の功徳すべてが「南無妙法蓮華経」の七文字にこめられていると日蓮聖人は考えました。
そこで、「法華経の内容をすべて信じ帰依する」という意味の「南無妙法蓮華経」を唱えることを、何よりも重要な修行としています。 - 歴史
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日蓮は貞応元年(1222)安房国に生まれ、12歳で天台宗清澄寺に入り、16歳で得度します。
21歳の時に比叡山へ上ると膨大な書物を読破しながら、教えを求めて園城寺、高野山などへも訪れます。
こうした修行研鑽を11年間続け、ついに、「お釈迦さまの最高の教えである「法華経」こそが、救いのよりどころとなる唯一の経典である」という確信を得ました。
清澄寺に戻った日蓮は、建長5年(1253)清澄山頂に登って「南無妙法蓮華経」の題目を高唱し、立教を宣言します。
その後、「法華経を広めようとする行者は難にあう」という法華経自体に書かれてる予言通り、「松葉谷の法難」「小松原の法難」など数々の難に遭い、死の危険にさらされることになります。
「社会に天災や疫病などが続くのは邪法・悪法がはびこっているからだ。法華経信仰によって国土の安穏をはからなければならない」と説いた「立正安国論」を執権北条時頼に提出すると、その内容を幕府に危険視され伊豆に流罪(伊豆の法難)。
さらに「龍の口の法難」では斬殺寸前となりますが稲妻によって奇跡的に逃れ、佐渡に流罪となります。
文永11年(1274)ようやくゆるされた日蓮は身延山に入り、61歳で生涯を閉じるまで著作と後進の育成につとめたのです。 - 総本山
身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町)
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