「お仏壇ものがたり」フォトエッセイコンテスト

「お仏壇ものがたり」フォトエッセイコンテスト

「おかげさま」とお仏壇に合わせる感謝の手が、あなたの心を豊かにします。
お仏壇の素晴らしさを伝えるために、お仏壇にまつわるエピソードを募集したところ、皆様よりたくさんのご応募をいただきました。
平成25年2月28日をもちまして締め切らせていただきました。本当にありがとうございました。
たくさんの応募作品の中から佳作をご紹介いたします。

「わが家に入った仏壇」  小林 美博 さん(新潟県新潟市/53歳)

わが家に入った仏壇

 わが家の仏間には数年前まで母方の仏壇が入っていました。長男が借金をし、破産宣告し、借金取りから東京へ逃れていたためです。その長男も東京で老年期を迎え、認知症になり家族に地元へ連れ戻され、めでたく母方の仏壇は長男の家に行きました。
 それからわが家の仏間はカラでしたが、一昨年父が亡くなり、分家のわが家にも仏壇が入ることとなりました。
 父は五人兄弟の末っ子に生まれ、母親のお腹にいるとき、父親が若死にし、極貧の中に育ちました。父は父親というものを全く知らなかったにもかかわらず、立派な父親でした。
心が広く一家の大黒柱として家族を支えました。世間によくある、浮気をしただのギャンブルに狂っただのというようなスキャンダルは一切なく、安定感のある人でした。
 勤めていた中小企業が、オイルショックのあおりを受けて倒産し、その落ち武者五人で始めた会社の社長になったのは五十歳の頃でした。その後社長業に並々ならぬ才能を発揮し、なぜもっと若いころに独立しなかったのか不思議なくらいでした。おそらく人を裏切ることのできない性格だったのでしょう。
 七十半ば過ぎまで働きましたが、寄る年波には勝てず引退しました。その後仕事くらいしか生甲斐のなかった父は、みるみる衰え、八十三歳でこの世を去りました。

「両手を合わせる」  逸見 修 さん(新潟県佐渡市/64歳)

両手を合わせる

 朝一番に水を替える。ロウソクの灯りをつけ線香を焚く。できたてのご飯と味噌汁、好物だった煮物や漬け物をお膳にのせて仏様にお供えする。
 家内と二人、毎日・毎朝両手を合わせる。我が家のこのしきたりともいえる朝の日課は、私が物心ついたときから行ってきたから、かれこれ六十年以上続いていることになる。代が代わってもやっていることは今も代わらないし代えてはいけないと思っている。
 両親が健在だったころはそのことを両親が行っていた。父が亡くなってからは母が、その母も九十八歳で亡くなってからは私と家内が後を受け継いでいる。
 朝、仏様と向き合うのは僅かな時間であるが、私らにとっては一日の始まりの大切なひと時だ。仏様の前に座るだけで何故か心が落ち着いてくる。両手を合わせてお参りをする。出てくる言葉は感謝と今日一日の無事を願う言葉だ。
 父は亡くなって三十年、母は三年経つが仏壇の前に座るたびに元気で働いていた時の父母の顔が浮かんでくる。「一生懸命勉強せよ、嘘はつくな、人の為に尽くせ」小さいころ、ことあるごとに母が言っていた言葉は、生きる支え・指針としてきた。
 ふり返れば六十年余りの人生は楽しいことばかりではなかった。むしろ苦しく・辛く・悲しいことのほうが多かったが、支えられ・励まされ・見守られながら乗り越えてきた。これも両親、ご先祖様のお蔭で感謝の気持ちを忘れたことがない。
 日々の生活の中では、ともすると忘れてしまいそうになる両親の存在を意識させてくれるのが朝の僅かな時間だ。お膳をお供えし、「両手を合わせる」。私にとっては両親やご先祖様との再会の場であり自分自身を見つめる場でもある。
今ある自分に感謝し、今日もまた、ご先祖様と両親に見守られ一日がスタートする。

「おじいちゃんが幸せだったって」  岡 直人 さん(福岡県福岡市/38歳)

おじいちゃんが幸せだったって

 義父が癌でなくなったとき、自分自身ももうそんな年なのだと改めて実感した。死への恐怖はあるけれど、まだどこか他人事のような気もする。義父は亡くなり、もうこの世にいない。当然だ。お棺に入って、焼かれて骨になったのを目の辺りにした。それでもどこか違和感を覚える。「もういない」ということが不思議でならない。
 義父は生前、こんなことを言っていた。「考える脳がなくなっても、家族に記憶が残っとう。それで充分たい」それは僕が今こうして思い出していることと繋がっているのではないか。記憶とは、自分の中に生きているということ。もしも自分が死んでも、やはり家族には時々思い出して欲しい。思い出すことで、死者は蘇る。
 「ねえ、パパ。おじいちゃんとはもうお話できないの?」七歳の娘が尋ねてくる。どう答えていいのか少し戸惑った。僕は娘とともにお仏壇の前に座った。
「このお仏壇の前で、目を閉じて、手を合わせて、心の中でおじいちゃんに話し掛けるんだ。その言葉はおじいちゃんにきっと届くよ」娘が素直に従った。何と語りかけているのだろう。三歳の妹もやってきて横にちょこんと座り、お姉ちゃんの真似をする。二人が並んで静かに手を合わせている。
 「おじいちゃんは、何か言ってた?」「うん、おじいちゃんの声が聞こえた」娘は嬉しそうに言った。生前の言葉を思い返したのかもしれない。どんな会話だったかは、聞かないことにした。
 「お父さん、どうかこの子たち元気に育ってくれますよう、見守ってください」心の中でそう強く願う。「まかせんしゃい」という暖かい言葉がどこからか届いた気がした。いや、きっとこう答えてくれると、分かっていたからだろう。それでも何だか勇気付けられる。お仏壇は、亡くなった方との交信の場と変わる。
「パパ、おじいちゃんが幸せだったって」三歳の娘が突然そんなことを言うものだから、ちょっと吹き出して、ちょっと胸が締め付けられた。

「長生きしてね」  蟹川 佐代子 さん(大阪府大阪市/63歳)

長生きしてね

 父の7回忌に母と妹と久しぶりに3人そろいました。
母は福岡県で一人暮らし、妹は出雲市に、私は大阪とそれぞれ離れて生活していますが妹も病弱な為に帰省も難しく、3人そろうことはなかなか実現しません。
今度、3人そろう時はいつになることやら!
 久しぶりに女3人がそろい、無くなった父の思いで話やそれぞれの子供の事や孫の事を夜遅くまで、おしゃべりしました。
父が天国から遊びに来て横でほほ笑んでいるような気がしました。
 いつもは一人で静かに生活している母は、生活のペースが狂って体調壊したかも!
母にはいつまでも元気でいてほしいです。
遠く離れている母娘がそろうのも父の法事があればこそで、父に感謝しながら私たちは我が家へ帰って行きました。

 

「無題」  宮澤 千春 さん(長野県千曲市/50歳)

無題

 私で七代目になるこの家のご先祖様など、子供たちには知る由もない。
でも今、私たちがこの世に生を受けて、毎日、遊んだり、勉強をしたり、家族みんなで楽しく食事をしたり、泣いたり笑ったり、幸せに暮らせていることに、私たちはいつも感謝の気持ちを持たないといけない。
 子供たちにとっては、そんな話を幾らしてみても未知の世界であるようで、真剣に聞いてくれないことが多い。
それでも、どんな時代が来ようとも、伝えていくべき大事なことだと思って、繰り返し繰り返し、ご先祖さまの存在に感謝の気持ちを持つよう子供たちに話している。
 大晦日の夜、母だろうかお仏壇に美味しそうな柿やりんごが供えてあった。娘は誰に言われたでもなく、一人でお仏壇に御線香をあげ、手を合わせていた。
きっと娘たちのこれからの未来を、ご先祖様が優しい眼差しで見守ってくれると思う。

「天国への通信箱」  原 有美 さん(三重県四日市市/42歳)

天国への通信箱

 わたしが小学2年生のとき、大好きな祖母が天に召されました。
優しく厳しく、そして楽しい思い出をたくさん与えてくれた祖母は、私にとって、いまも良き相談相手です。
 祖母が亡くなると、我が家の座敷にお仏壇が置かれました。
毎朝、一番のお茶と炊き上がったばかりのごはんさんを、母がお仏壇に供える姿を見ながら、自然と私も手を合わせるようになりました。
そうするうちに、幼いながらもお仏壇が天に暮らす祖母と、いつまでも心を繋げることができるものであると感じるようになりました。
 それからは、なにか困ったことがあると、お仏壇の前に座り込んで、ずっと祖母に話しかける子どもになりました。
あるときは友だちとの喧嘩を相談したり、男子生徒からの心無い言葉に傷ついたことを打ち明けたり、あるときは、逃げた文鳥を戻して欲しいとお願いしたりしました。
そして、これらの願いや思いは、ちゃんと解決したのです。
本当に不思議だけれど、小さな私の小さな悩みや希望は、お仏壇という天国への通信箱を通じて、ちゃんと祖母に届いていました。
 私は人が亡くなってから、本当はどうなっていくのかはわかりません。けれども、祖母やご先祖様たちに守られていると感じることが何度もありました。それはすべて偶然や心の持ちようだったのかもしれません。
 しかし、いつだって前に座るだけで心がゆったりと安心できて、あれから36年、今年で43歳になる今も、祖母が生きていたとき以上に、祖母がそばにいることを強く感じます。
それはやはり、お仏壇という天国への通信箱が、いまも確かに祖母と繋がっていて、私たちの声が毎日届いているからだと思うのです。おばあちゃん、今日も届いてる?今日もみんな元気です。


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