「お仏壇ものがたり」フォトエッセイコンテスト

「お仏壇ものがたり」フォトエッセイコンテスト

「おかげさま」とお仏壇に合わせる感謝の手が、あなたの心を豊かにします。
お仏壇の素晴らしさを伝えるために、お仏壇にまつわるエピソードを募集したところ、皆様よりたくさんのご応募をいただきました。
平成25年2月28日をもちまして締め切らせていただきました。本当にありがとうございました。
たくさんの応募作品の中から佳作をご紹介いたします。

「仏壇から初めまして」  船木 利恵 さん(北海道札幌市/48歳)

仏壇から初めまして

 我が家に仏壇が置かれた日の事は忘れない。父が47歳で亡くなって間もなくで、まだ涙も止まらぬ頃だった。
真新しい黒い仏壇の隣で叔父が「これは、ばあちゃんが買ってくれたから。」と静かに言った。 
年老いた祖母が息子を亡くして仏壇を買い求めた事は、私の悲しみをより深いものにしたように思う。父と病との闘いは5年だったから、心の準備も出来ていたはずなのに、黒い仏壇はいつまでも私の悲しみの象徴で、どうしてもそこに心寄せる事が出来なかった。カタチばかりに手を合わせ、どんなに呼んでも魂を感じる事が出来なかった。二十歳を過ぎたばかりで若かったせいもあるかも知れない。
 月日が流れ、結婚し息子を授かった。あれは息子が2歳くらいだったと思う。毎日、仏壇を見上げるようになった。そのうち、その前で笑顔を見せるようになった。どきり。父はおしゃべりな人であった。はじめましてと挨拶したか・・・と冗談交じりに思いつつ、多分、中の金飾りなどが小さな息子には気になるのだろうと見守っていたが、ついにある時、声を出して笑った。
やっぱり、誰か向うから話しかけているの?本当の事はわからないけれど、そのころから私の仏壇への想いは変化した。カタチだけで手を合わせることもなくなった。
 それから暫く仏壇前は息子のお気に入りの場所であった。時に小さな手を伸ばし、誰かと遊んでいるようであった。ただ単に仏具に興味がいっただけかもしれないが、黒い仏壇が悲しみの象徴の箱ではなく、父と息子を結ぶ大切なトンネルだと私自身が感じられた事が何よりも嬉しかった。
 時が流れて、あの時の幼子も随分と大きくなった。興味津津に仏壇を覗き込む事もなくなって、父は少し寂しく思っているかもしれない。

「おだんご」  穂積 悠 さん(群馬県邑楽郡/33歳)

おだんご

 子どもには大人の目に映らないものも見えるらしい。誰もいないのにお仏壇に向かってキャッキャと笑ったりバイバイをする息子を見ると、それもあながちでたらめではないと思ってしまう。お仏壇の住人になってしまった祖母は子煩悩な人だったから、姿は見えなくても息子をあやしてくれているのかもしれない。
 育ての親でもある祖母が亡くなったときのことは今思い返しても涙がでるほど悲しい出来事として心に刻まれているが、それでもお仏壇の前に座って手を合わせていると穏やかな気持ちになれる。
「おばあちゃん、あの子もうすぐ三歳にもなるのにまだ口もきけないんだよ。」最近の相談事は、もっぱら息子のことばかり。
母に相談しても「あんたもお姉ちゃんも、おばあちゃんに育ててもらったからわからないよ。」と言われてしまうので、物言わぬお仏壇に聞くのと変わらない。
他の子と成長を比べること自体ナンセンスなものなのだろうが、どうしても気になってしまうのも親心というものなのだろうか。
 ある日仕事から帰り仏壇に手を合わせると、朝までは確かになかった謎の物体が香炉の横にころんと置かれていた。茶色にも鼠色にも見えるいびつな形をした謎の物。
「お母さん、仏壇に太一(犬)のウンチが乗ってる!」思ったままを口にすると、
「ばか!あんたの息子が一生懸命作ったおだんごだよ。」と背中をバシッと叩かれた。
恐る恐る手に取ってみると、確かに粘土のにおい。昼間に粘土遊びを始めたところ、おだんごを作って自らお供えをしたそうだ。
大丈夫。口はきけなくても、ご先祖さまを思いやる優しい心は育っている。お仏壇が家にあるからこそ、自然に培われる心の成長もあるのだろう。
粘土のおだんごをお供えしたり、自分のおやつを仏壇に少しおすそ分けしたりする息子の姿をみると、ご先祖さまに感謝せずにはいられない。

「タイムスリップ」  溝江 亜希子 さん(神奈川県横浜市/33歳)

タイムスリップ

 私の母の実家がある山形の祖母宅の仏壇。
母の実家は400年近く続く家系で、仏壇には先祖を記すものが元文元年より記録されています。
 私は子供の頃から毎年夏休みに母と山形へ帰省することがとても楽しみでした。お盆ならではの提灯に灯をともしてお供え物を持ち、皆で歩いて向かうお墓参りや、農家を営んでいるので朝に野菜を収穫すること、ただただ目の前に広がる田んぼの景色など、横浜生まれの私にはとても新鮮でした。
 中学生頃から次第に足が遠のき、大人になり、私も母となりました。
娘が小学生になり、母と一緒に親子3代で夏休みに帰省することが復活しました。私が小学生の頃に体験したことが今現在も全く同様に続いており、タイムスリップしたような気分になりました。
娘は浴衣を着て提灯とお団子を持ち、田んぼの真ん中のお墓へお墓参りをしました。お供えしてから、いただくお団子が私も大好きだったなぁと当時の気持ちが思い出されました。
 先祖代々続けてきたことを、同じように行うこと。大切に思う気持ちがあるからこそ引き継がれているのだと思います。
 私が小学生の頃に急死した祖父、94歳で大往生した曾祖母、今はいないけれど、仏壇を通していろんなことが思い出されます。
祖母は毎朝仏壇にお線香やお米やお茶を備え、1日がスタートします。その横で娘も手を合わせていました。25年前は私が祖母の隣で手を合わせていました。
 400年分のご先祖が、今現在を生きる祖母をはじめとする私たち一族を守ってくれていて、私の娘もいつか子供を連れてこの仏壇にてを会わせる日がくるのでしょう。
私も今までのご先祖様達がつないだものを娘につなげていきます。これから先も長く長く続きますように。
仏壇と囲炉裏のある大きな部屋で祖母含め4代でわいわい話すと、ご先祖様達も笑ってくれているような、そんな気持ちになった今年のお盆でした。

「手を合わせて」  中里 麻衣子 さん(東京都稲城市/33歳)

手を合わせて

 おじいちゃん家にある立派なお仏壇がお気に入りの娘。
遊びに行くと、毎回ち〜んち〜んとリンを鳴らしては熱心に手を合わせています。
娘がお仏壇が何なのか理解しているかはわかりませんが、こうして毎回手を合わせることで自然とお仏壇やご先祖様について身近に感じられるようになってもらえたらいいなと思っています。
 きっと娘が生まれる前にすでに亡くなっていた、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんも、かわいいひ孫の訪問を毎回楽しみにしてくれていることでしょう。






「父のお仏壇のある部屋で母は裁縫」  福本 詳万 さん(兵庫県神戸市/40歳)

父のお仏壇のある部屋で母は裁縫

 生まれながら身体が不自由な私は、3歳になっても立つこともできず、4歳のとき、家に初めてお仏壇を祀った。その翌日に私は自力で立ち上がったと聞く。それから数年後に、おぼつかなくとも歩けるようになった。
 何年か過ぎて、祖母が他界し、お仏壇にお位牌を祀って鯛をお供えすると、宗教に関心のない父が「おばあ(母)が“うまい、うまい”と鯛をほお張る夢を見た」と言う。これらのことでも、ご先祖さまの大切な存在や世界、つながりを感じている。
 仕事は真面目で、なんの不自由もなく暮らせさせてくれていた父。しかし私が中学生になったころから休日ともなると、1日中タバコと酒を呑みながらテレビを占領していた。酒の勢いでか言動で母を泣かせるときもあった。そんな父を避け、みんなは別の部屋で過ごす時間が多くなった。父も楽しくなかっただろうと思う。
 そんな父も脳卒中で倒れて、長きに渡る闘病生活の末、5年前に他界した。病院で父の持ち物の片付けをしていると、ベッドで綴っていたと思われる日記帳を見つけた。そこには「家族4人、楽しく食事したい」。「いつも、ありがとう」など、幾度となく書いてあった。「やはり、寂しかったのだろう」と、私は悔しさと悲しさが込み上げて号泣した。
 自宅の2階の階段を挟んで私の寝室と、仏間が別れている。父のためにお仏壇を買い替えるとき、私の貯金を足しにしてもらった。せめてもの親孝行である。そして当時は、朝夕に父を思い浮かべ、般若心経などを読経しながら手を合わせていた。
しかし私は日々の忙しさに、仏間にあまり足を運ばなくなっていた。ご先祖さまや父には、大変に申し訳なく思っている。
お仏壇をお守りするのは、「ご先祖さまは元より、父の想い、この家をお守りすることだ」と肝に銘じている。そして昨年から、仏間に父が好きだったテレビを置いて、母が裁縫や手仕事などをするようになった。父もきっと喜んでくれているだろう。


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