「お仏壇ものがたり」フォトエッセイコンテスト

「お仏壇ものがたり」フォトエッセイコンテスト

「おかげさま」とお仏壇に合わせる感謝の手が、あなたの心を豊かにします。
お仏壇の素晴らしさを伝えるために、お仏壇にまつわるエピソードを募集したところ、皆様よりたくさんのご応募をいただきました。
平成25年2月28日をもちまして締め切らせていただきました。本当にありがとうございました。
たくさんの応募作品の中から佳作をご紹介いたします。

「祖母と仏壇と私」  佐久間 ちな さん(北海道北見市/29歳)

祖母と仏壇と私

 祖母の家には大きな仏壇があって、祖母は毎朝、背中を小さく丸めながらその仏壇に向かって般若心経を唱えていた。毎日決まった時間に欠かさず、祖母は仏壇に手を合わせていた。
 そんな祖母が亡くなったのは今から五年前の事である。祖母が亡くなって暫く、私は仏壇に手を合わせる気持ちにはなれずにいた。
 私は祖母が大好きだった。無条件で私を愛してくれた、大切な、大切な人だった。亡くなった事をなかなか受け入れることが出来ず、お葬式が終わっても、度々祖母を思い出して涙が出た。もっと一緒にやりたいことがあった。もっとしてあげられることがあった。 しかしある日、泣きながら仏壇に手を合わせた。
その時ふと、自分が語りかけている言葉が祖母に伝わっているような不思議な感覚を覚えた。「ばぁちゃん、何もできなくてゴメン」私が思うと、祖母は「そんなことないよ」と言ってくれているような、そんな錯覚を覚えたのだ。その儀式は少しばかり私の心を救ってくれた。
 仏壇に向かって手を合わせる。その間、私たちの心は死者へと近づくことができるのではないか。生と死の対話—いや、そんな大それたものではなく、純粋な「語らい」なのだと思う。仏壇は、もう今は会えない、それでも会いたい、その人との「会話」をすることができる「一つの媒介」なのではないだろうか。
 私は祖母の背中を思い出す。きっと祖母も、仏壇を介して亡くなった誰かと会話をしていたに違いない。
語りかけを通して、祖母に会う。そして私は自分を見つめる。仏壇を前にするという事はそういう事なのかもしれない…。
「ばぁちゃん、私はずっとずっとばぁちゃんが大好きだったよ。もっと一緒にしたいことがたくさんあったよ。私はこれからもずっと、ばあちゃんに話しかけ続けるよ。」仏壇を前に、私は祖母に語りかける。祖母が、そこにいるかのように。
「ばあちゃん、私、今、幸せに生きてるよ」祖母の写真が微笑んだ気がした。

「おじいちゃんの愛」  三島 裕梨 さん(神奈川県平塚市/27歳)

おじいちゃんの愛

 「お仏壇のお花をいじっていたらひょいっと手を引かれたの」
一緒に住んでいた祖父が亡くなって間もなく、意気消沈していた祖母が少しずつ元気を取り戻し始めたある日、そんなことを言い出した。
 もう10年程前の話だ。現在27歳の私はまだ高校2年生だった。
北海道の中でも更に田舎の小さな農家だった祖父母の家族は、まだ私の父が小学生の頃に一家で神奈川県に移り住んで来た。
昔ながらの亭主関白の祖父に、黙って後ろを歩いてきた祖母、まさに絵に描いたような夫婦像だった。やれ箸を持って来いだの、服を脱がしてくれだのと、祖母に指図するのを見て、幼い私は「ばあちゃんは、じいちゃんの召使じゃないんだから」と本気で怒ったこともある。
それでも、孫の私にとびきり優しくて、可愛い笑顔を見せる祖父が大好きだった。
 そんな祖父の死から、私もなんとか立ち直ろうとしていた時だ。祖母の不思議な言葉に首を傾げる。「ありがとうって言われた気がしたんだよ」祖母が続けた言葉に、仏壇に飾られた祖父の笑顔に目をやる。
思えば、物心ついた頃から仏壇はずっとここにあるが、祖父がそこへ入るまで見向きもしなかった。
それが今では毎日参って線香を上げ、「今日も一日ありがとう、明日もよろしくね」と心の中で祖父に話し掛ける。
 二世帯住宅故に、ともすれば祖母とは顔も合わせないが、仕事から帰れば必ず仏壇に寄るおかげで毎日必ず祖母と会話をするのだ。そして、たまにおやつをくれたり、果物を切ってくれたりする。祖母の手を引いたのは、間違いなく祖父なのだろう。そして、きっと私には「ばあさんをよろしく」と言っているのだろう。
 あの日から、私は大学生になり、社会人になった。その間も、私は学校や仕事から帰ると仏壇に挨拶に行く。祖父と、祖母と、孫の私を優しく繋いでくれる、大事な大事な存在なのだ。

「心の支え」  伊藤 由果子 さん(愛知県長久手市/42歳)

心の支え

 実家のお仏壇には5人のご先祖様が眠ってみえます。
とりわけ20年前に42歳で亡くなった父への思いは、とても強いものがあります。
それ以来、困った事つらい事があると すぐお仏壇に向かうようになりました。
「お父さん こんな事があって・・・私の事助けてください。」
神様仏様より父の方が心のより所であり、私を見守ってくれているという確信の元、様々な事を相談したりお願いしたりしました。
遺影の父はいつも穏やかに私を見つめ、かすかにほほ笑むだけで、決して返事をしてくれる訳ではないのですが、お仏壇に向かって話をすると不思議と安心できたのです。
 結婚してからは、遺影と同じ写真を鏡台の上に置き、毎日父に見守ってもらっています。
今でも困った事つらい事があると、鏡台の上の父に話しかけます。相変わらず返事は返ってきませんが、父に話したからには何とかなる、という気持ちになり力が湧いてきます。
 今は、娘二人に恵まれ 平穏な日々を過ごしていられるのも 父のご加護があっての事と思っています。
おじいちゃんに会ったことのない娘達に 生前の話を色々聞かせ、私の思いを伝えています。
そうしているうちに 子供達も実家に帰るたび 自然とお仏壇に向かい手を合わせるようになり、ご先祖様を敬う気持ちが芽生えてきました。
「これからは、私の新しい家族・・・主人と娘二人の事も見守ってください。おとうさん。」

「脈々と」  北沢 ゆうこ さん(滋賀県大津市/40歳)

脈々と

 息子の五月人形は、今は亡き、お爺ちゃんからの贈り物です。
お爺ちゃんが孫である私の夫に贈ったものを、曾孫に当たる息子が受け継いだのです。
きっと、奮発して良い物を買って下さったのでしょう。そして、長年、大切に扱ってきたのでしょう。
40年経った今でも、キリリと勇ましい顔には、汚れひとつありません。
息子が産まれる前に、お爺ちゃんは亡くなっていますから、息子はお爺ちゃんに会ったことはありません。
でも、こうして、40年前にお爺ちゃんが一生懸命選んで下さった五月人形が、息子の成長を見守ってくれている。不思議ですね。
 ご先祖様とか、宗教とか、そんな難しいことを意識したことはないけれど、知らぬ間に脈々と受け継ぎ、そうして、私たちは生きているようです。
なんだか、お爺ちゃんにありがとうを言いたくなって、そうか、こういう時に皆、お仏壇に向かってきたんだなと、皆が手を合わせてきたお仏壇に、私も手を合わせました。
そして、脈々と続く営みの意味を、何となくですが、理解できたような気がしたのでした。

「古里の思い出」  太乃 三枝子 さん(福岡県北九州市/39歳)

古里の思い出

 30年ほど前の夏休み。小学生だった私は、祖母の家に長く泊まるのが、夏の楽しみの一つでした。
 朝5時頃、仏壇のあるお座敷でまだ寝ている私たちの前を、起こさぬようにそっと通り、仏前にご飯と水を供える祖母の後ろ姿が、今も記憶に残っています。静かに手を合わせる祖母の背後からご飯の香りがうすく漂い、何とも言えぬ小さな幸福感を感じつつ、また眠りについたものでした。
 先日里に帰り、母が祖母の時と同じように、早朝子供たちが寝ているそばを通り、祖先に線香をあげている姿を布団から見ると、ふと昔の光景と重ね合わせている自分がいました。横では目を覚ました娘が小さな声で「おばあちゃん、起きるのが早いね」と微笑んでいました。
30年ぶりに味わえた、あの小さな幸せな気分を、懐かしく思い出しました。

「家族全員でのおひな祭り」  中村 幸雄 さん(和歌山県和歌山市/46歳)

家族全員でのおひな祭り

 我が家のひな祭りは仏間で家族全員がそろって行う。
 幼かった娘二人が毎朝お仏壇に手を合わせて大好きなチーンをするようになって「どうして曾爺ちゃんはいつもわらっているの?」と仏壇の写真から娘二人に聞かれ、毎朝「ナムナムとチーン」をしてくれるからかな。と言ってからは、娘の遊び場は仏間となり、それ以来家族のイベント事も仏間で行うようになった。
 いつもやさしそうに微笑んでいるおじいちゃんに見守られながら幼かった娘二人も今は中学生。
毎朝ばたばたと忙しくしているが、通学前には今も変わらず仏壇に手あわせて出かけ、帰宅後、学校の宿題や勉強も仏間でやっている。
これからもやさしかったおじいちゃんに見守られながら感謝を忘れずに元気にすくすく育ってほしい。
そう思いながら私も仏壇に手を合わせて「よろしくたのみます」と念じ、チーンと鳴らした。


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