「お仏壇ものがたり」フォトエッセイコンテスト

「お仏壇ものがたり」フォトエッセイコンテスト

「おかげさま」とお仏壇に合わせる感謝の手が、あなたの心を豊かにします。
お仏壇の素晴らしさを伝えるために、お仏壇にまつわるエピソードを募集したところ、皆様よりたくさんのご応募をいただきました。
平成25年2月28日をもちまして締め切らせていただきました。本当にありがとうございました。
たくさんの応募作品の中から佳作をご紹介いたします。

「お仏壇に飾られたソレ」  冨士原 憲昭 さん(大阪府富田林市/31歳)

お仏壇に飾られたソレ

「ばあさん、孫はがんばっとるね」
「ホント、体育なんて満点の5よ」
 そんな会話が”中”で繰り広げられているかもしれない。
お仏壇に飾られた「ソレ」を話のネタに・・・。
 僕がその光景を初めて見たのは僧侶となって、まだ間もない頃だったと思う。月命日のお参りである檀家さんの家に訪れたとき、視界の先に飛び込んできたのが「ソレ」だった。
平仮名で「あゆみ」と書かれた、どこか懐かしい「ソレ」。そう、学校でもらう通信簿が花やローソクと並んでお仏壇の前に飾られてあったのだ。
 僕がそれに気づいたのを知ってか、家の奥さんが「あっそれね、大事なものだし、失くすといけないと思って、置かせてもらっているんですよ」と通信簿の置き場所の理由を恐縮そうに教えてくれた。
小学一年生になる息子のものだという。そして続けて言うのだ。「あと、おばあちゃん(故人様)にも見てもらいたくて・・・」
今度は恥ずかしそうに、でも嬉しそうに教えてくれた。話によれば、おばあちゃんは孫ができて、二年後に亡くなっており、孫の成長をずっと楽しみにしていたのだという。置き場所の本当の理由がそこにあるような気がして、何とも言えない温かい気持ちになったのを今でも覚えている。
 お仏壇の前に飾られた通信簿。僕はこの光景が結構好きだ。もちろん、そこに置いたからといって成績が上がるわけでもない。でも、「僕、私、こんなに大きくなったよ」「成長しましたよ」って、ご先祖様に報告できる、そんな気がして、ならないのだ。
 思えば私の家も同じだった。通信簿はもちろん、高校や大学の合格通知まで、親が見たあとはお仏壇。それが毎回のパターンだった。そこに形や言葉はなくても、成立する亡き人とのコミュニケーションの場、ご先祖様と遺族をつないでくれる場所。それがお仏壇だと思う。
だから、今日も僕は報告する。通信簿をあるものに置き換えて、結婚の報告とともに・・・。

「喜びの香り」  長谷川 真里 さん(群馬県高崎市/45歳)

喜びの香り

 昨年母を失いました。母の居場所との想いがあっての事か、父は出来れば早く欲しそうで、一月ほど後、初めて仏壇を購入しました。
 四十九日法要の際に、入仏式をお寺で行って頂き、その席で母の法名について私がご住職に質問していた時のことです。法名には「香」という文字が使われていました。
 「よく『亡き人は成仏したのでしょうか?』と聞かれるのですが、香りが伝わるということがあります・・・」と話し始めました。
時間が経過した今、ご住職の説明を正確に書くことが出来ないので私の言葉で書かせて頂くと、「香り」というのはその人の持つ特性、エッセンスといったもので、「伝わる」というのはそれが周囲の人にうつっていく、影響していくことを意味するということでした。
Aさんが亡くなり、Aさんの子供Bさんの言動を見聞きした際に、他人であるCさんが、「あぁ・・・あの人の子だね・・・」
そう言うようだったら、それは「香りが伝わった」ということになるという内容でした(当然これは「良い意味」である必要があります)。
 今まで会った事の無かった母の友人からは、「Kちゃんはいつも周りの人が気を遣わないように気を遣っていた」 「他人の事ばかり心配していた」 「子供の頃から可愛くて、元気で、人気者で・・・」
という私のよく知らない母の一面を聞かされました。家族に向けての顔と他人に向けての顔は誰でもいくらか違うものですが、亡くなって、母という人間をよりよく知るようになったのは、更に愛情深く感じる想いがします。
  母の法名には名前の一文字が入り、「喜香」となる部分があります。「喜びが香る」とはとても良い名前を頂いたと思っています。母は確かに明るく朗らかな笑顔と声で周囲の人に接していました。
私も喜びを人に伝えられるような人間になるよう、前を向いて生きていこうと思います。

「大きいばあちゃん」  天野 令子 さん(大阪府柏原市/32歳)

大きいばあちゃん

 今年の1月、優しかった祖母が100歳で亡くなりました。
亡くなる2年前、私は祖母にとって初めてのひ孫となる娘を出産しており、祖母は晩年そのひ孫のことを本当に可愛がってくれました。
 祖母は自宅で大往生を遂げたのですが、亡くなった日の前日ちょうど私たちは祖母の家に帰省しており、もう話すこともできない状態なのに、祖母はそのひ孫の顔を見ると、最後のほほえみを見せてくれました。
 写真は一周忌で祖母の家に帰省したときのものです。お仏壇に供えたお供え物をお下げするお手伝いをしていた娘は、「あれ?大きいばあちゃん、全然食べてないねえ?お腹いっぱいなんかなあ。」と不思議そうな顔をしていました。
いつまでも祖母が娘の成長を見守っていてくれている気がします。

「手作りの仏壇」  田賀農 譲二 さん(長崎県長崎市/29歳)

手作りの仏壇

 私が高校三年の時、父が亡くなった。
手の施しようがない状態で一年半の入院生活。最後の三か月はモルヒネ投与で幻覚・幻聴の中、父は生きていた。息子三人で八時間ずつ病室に付き添った。私も病室にパイプ椅子を並べて寝、通学した。
 父が亡くなった時、母と私たち兄弟は体力も限界だった。眠る父を囲み、涙を流した。すすり泣く声が響く中、母は気丈に「お父さんも、あんた達もよくやった。お父さんもお疲れさん。あんた達もお疲れさん。家族の誰も悔いはない」と言った。
父が亡くなったと聞きつけ、深夜からも親戚が集まり始めた。明け方、叔母が手際よく、葬儀の段取りを調整していた。(今思えば、ありがたい限りなのだが) その手際よさが、私には、父と私を無理やりに引き離すような印象を受け、良い気持ちはしなかった。
 その後、初七日を過ごし、仏壇をどうするか話し合いが始まった。そこでも叔母は存在感を示した。父の死でお父さん子だった私は不安定になっており「父さんの仏壇は俺が作る」と反抗するように言い放った。しかし、大工仕事などしたことのない私。周りからは「無理だろう」と言われた。それでも頑なに「作る」と言い続けた。すると、父と特に仲の良かった叔父が見かねて助け舟を出してくれた。
四十九日までの間、学校終わりに叔父の家に出向き、仏壇を作った。家紋も彫刻刀で彫った。
出来上がった仏壇は家の規模からすれば小さすぎたかもしれない。しかし、叔母を初め、心のこもった仏壇だと評価してくれた。母も嬉しそうだった。
 それから十二年。帰省した時、四歳の息子もその仏壇の前で、会った事のないジージに手を合わせている。父になった私。この仏壇、父はきっと喜んでくれていると確信している。

「手を合わせるということ」  南谷 陽介 さん(奈良県奈良市/23歳)

手を合わせるということ

「まんまんちゃんしておいで」
「チンチン鳴らしておいで」
「仏壇に手を合わせておいで」
 私の成長とともに言葉は変わるが、祖父母の家に行くと必ず祖父にそう言われていた。
 小さい頃は意味もわからず手を合わせていたし、思春期になると顔も見たことのないご先祖様に何を感謝するのかと思いながら、反抗的な態度を取った時もあった。しかしそんなときも祖父は、「とりあえず手を合わせてこい」と言うだけだった。
 その祖父が先日癌で逝ってしまった。
悲しみ、驚き、色んな思いが交錯する中、慌ただしく葬儀は進みあっという間に初七日を迎えた。
ふと仏間に座り遺影に目をやると、生前の祖父との思い出が蘇ってきた。そこでふと自分が自然に手を合わせていることに気がついた。
 祖父がなくなった今、”仏壇に手を合わす”という意味がようやくわかったように思う。ご先祖様への感謝、
今を生きられていることへの感謝、今があるのは脈々とお守りお導き頂いたことへの感謝。祖父やご先祖様に生かされて今がある、そう思って一日一日をしっかりと歩んでいかないと・・・。


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