不動明王・不動三尊・三面大黒天・七福神・毘沙門天

不動明王

「お不動さん」と呼ばれる不動明王は、「観音さま」と並んで最も親しまれている仏様のひとつで、サンスクリットではアチャラナータ(古代インドではシバ神の異名)と言います。

「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を意味するところから不動と訳されました。
不動明王は大日如来の化身であり、その命を受け常に火焔の中にあり、あらゆる障害と一切の悪を打ち砕いてくれる霊験あらたかな仏様です。
不動明王は右手に智剣(ちけん)、左手に羂索(けんさく)を持ち、人々を屈服させてまで救済しようと忿怒(ふんぬ)の形相をして、私たちの煩悩を除き一切の災いを打ち砕いてくれると言われています。

不動三尊(三体不動)

大日如来の化身である不動明王は眷属(けんぞく)を従えています。

矜羯羅(こんがら)、制多迦(せいたか)の二人の童子で、穏やかな表情をしているのが矜羯羅童子、好戦的な表情をしているのが制多迦童子です。
不動明王がこの二童子を脇侍(わきじ)にした三体の像を不動三尊(三体不動)と呼んでいます。

三面大黒天

三面大黒天は、真ん中に大黒天、向かって右に弁財天、左に毘沙門天の三神が合体した最強の天部です。

大黒天は富や出世、繁栄をもたらす招福・金運の神、弁財天は弁舌や学問、知識、音楽、技芸の功徳をもたらす芸能・学術・商売の神、毘沙門天は四天王の中で多聞天ともいわれる最強の神で、富や財宝、不老長寿、戦勝、無病息災をもたらす財宝・戦勝の神です。
三面大黒天は、日本では遣唐使として中国で学んだ伝教大師 最澄が最初に日本に取り入れ、比叡山に祀ったとされる由緒ある天部です。旧来の宗派の弾圧を受けながらも、比叡山延暦寺が日本を代表する寺院として発展してこられたのも三面大黒天の御利益だといわれています。
一農民から絶体絶命のピンチを数々潜り抜け、天下人となった豊臣秀吉が厚く信仰し、念持仏としたことでも有名なのが三面大黒天です。秀吉が自らの守護神と定め、常に身近に三面大黒天の小像を置くことにより、天下統一を果たせたといわれるほど、御利益の大きい神です。
三面大黒天を納める枡には、ますます幸運を呼び込むように、宝尽くし模様がほどこされています。また三面大黒天を納めたときの底面となる面には、大黒天、弁財天、毘沙門天を示す梵字が入れられています。
三面大黒天はたいへん力のある現世利益の神です。付属の宝尽し枡に安置し、座ったときの目線より高い所に安置し所願成就を祈ります。清浄なところであれば、タンスの上でも構いません。

七福神

七福神信仰の歴史は、鎌倉時代に、日本古来の守り神、恵比須(漁労、労働、商売などの守護神)の信仰に、中国を経てインドから大黒天(五穀豊穣、飲食の神)、弁財天(音楽、知恵、弁説、財福の神)の信仰が加わりました。

室町時代になり、この三神の信仰が庶民の間に深まってきますと、毘沙門天(人倫の道、仏法の守り神)、布袋(吉凶の占い、家庭円満など福徳の神)、福禄寿(幸運、生活の安定、長寿の神)、寿老人(長寿延命の神)の四神が加えられ、人々の願望に応える七福神として信仰の象徴になったといわれています。江戸時代には、商売繁盛、無病息災、各種大願成就の福徳、福運を求めて、各地で七福神詣でが盛んに行われるようになりました。